少し前から、藤ヶ崎龍神の名に魅かれるようになり、行く必要を感じていたのですが、やっと体を運ぶことができました。
藤ヶ崎龍神のことは、ここ滋賀に住み、20年近くたつのですが、つい最近までその存在すら知りませんでした。近くを走る湖岸道路は、何度も行き来していながら、そこに意識を向けることはありませんでした。しかし、数カ月前にその存在を知り、行く必要を強く感じていました。
龍神様に逢いに行く
この日は、朝から天気も良く、絶好のドライブ日和。藤ヶ崎龍神を目指し出発。自宅から一時間弱の距離です。
この場所は、夏場には、ウインドサーフィン、水上バイクなどを楽しむ人の多く集まる場所でもあり、地図上で確認したときには、現在の環境に心苦しいものさえ感じてしまいました。訪れたのは、シーズンオフなので人は全くおらず、パートナーと二人だけで訪れることができました。
到着したときには、薄曇りとなり、今にも雨が降り出しそうな気配、風も相当に強く、とても寒いながら、場所のエネルギーは、清々しいものを感じられます。
地元の方に大切にされていることがすぐに見て取れます。琵琶湖に向いた場所はきれいに整えられ、鳥居も真新しい感じ、朱の色がとても美しく、場に映えます。
(今回の藤ヶ崎龍神のご参拝は、わたしが言い出したことなので、雨が降ってくれるようになっていたようです。伺った土地の神様にはいつもとてもよくしていただいていて、わたしのエネルギーの状態に疲労あると必ず雨を降らせていただけています。雨があることで体が、エネルギー的に楽になるのです。逆に、パートナーがメインとなるときは、必ず、太陽が顔を出してくれます。
奥の磐座は、夫婦にたとえられているような感じ。琵琶湖方面に目を移すと長命寺のある長命寺山と津田山、その左手に琵琶湖の唯一の有人島-沖島が見えます。
この場所は、龍神様の拝所。
わたしにはそう感じられます。
見上げると、そこに龍神様の気配。
この場所にある案内によると、平安時代のこと、巨勢金岡という画家が、あまりの絶景のため描くことができず、筆を捨てたことから、筆捨の岡、水茎の岡、筆ヶ崎というが残ったと書かれていました。
この場所から龍神様を感じられれば、その景色を描こうにも描くことができないのは、納得できる感覚です。巨勢金岡という方は、きっと龍神様のエネルギーを感じ取ってしまったのではないでしょうか。
山側の方には、内宮として鳥居があり、人がかろうじて通れる岩穴があります。奥に祠がありお参りできるようになっています。
訪れる方は、神聖な雰囲気と感じられる方が多いかもしれません。ただし、興味本位で覗いてみることはお控えください。敬意をもってお参りなさってください。
あえて、こちらの写真は撮りませんでした。
長く滋賀県に住んでいますが、この場所、藤ヶ崎龍神のことは知りませんでした。なぜ、今になって知ることになったのか?
その答えは、わたしの中で明確です。それは、昨年より龍神護符を描くことをメッセージとしていただいたからに他なりません。以後、わたしとして、意識の方向が龍神様に常にあり、以前にも増して共に在るのが当たり前となっています。
必要な時に必要なことが起こります。
藤ヶ崎龍神の鳥居は、昨年新しくなったようなのです。それまでは、重厚な石造りの鳥居でしたが、今は、奇麗な朱色の鳥居になっています。
「だから、呼ばれたのですね」
わたしの勝手な感じ方ですが、妙に納得してしまいました。
「きれいな場所になったから、一度おいで!」そんな風に受け取れました。
もう一つ目についたことがあります。
「龍王ト龍神ナトハ夫婦ニテ」と刻まれた、石碑。
次の日、この石碑に刻まれた、龍の夫婦に関して、
うれしくも不思議なことが起こりました。
神と人の美しい関係
この日は、久しぶりに外泊です。
以前に一度、パートナーと宿泊した場所に再訪しました。
この宿泊施設は、自然が豊かでとても落ち着いた場所、隣が神社なのです。寒い日が続いていたこともあり、山中も宿泊施設にも雪がたくさん残っていました。シーズンオフということもあってか、この日の宿泊施設は、わたしたちの他は、お客様が一人だけで、貸し切り状態となっていました。食事も温泉も二人でゆっくりといただくことができました。なんとも贅沢な歓迎です。
翌日、神社にお参りをして、「神社の奥に行ったことはなかったよね?」とパートナー。そこで、神々しい雰囲気を感じることができました。
パートナーが撮った写真です。
光が映っていました。
この場所の神様、でしょうか?とても神々しい。
地元の人たちにとても大切に崇敬された、神と人の創る清々しい場所です。
前回、この場所に来たときは、若いご夫婦が境内を丁寧にお掃除されていたのをよく覚えています。今回は、早朝からお年寄りの方々が次から次へとお参りに来ていました。人と神の関係性が美しく結ばれていると感じさせていただけました。
御神水には、龍神様。
清らかな水、龍神様のエネルギーが感じられます。
水面に龍神様が。。。
帰りは、田村神社へ。
田村神社に伺ったのは、わたしは初めてですが、パートナーは、以前知り合いの方に連れてきていただいており、立ち寄らせていただきました。田村神社さんのことは何も知らなかったのですが、坂上田村麻呂?と、勝手に想像していましたが、その通り。お祭神は、坂上田村麻呂公です。
この日は、明日からの厄除大祭(田村まつり)の準備で、境内ではテキヤさんが準備に大忙しです。その間を横目で見ながら、本殿に向かいます。とても広い境内は、悠久の時の流れを感じさせてくれるものです。
途中、御手洗川へ。
神社が川のそばにあるとなんだかうれしくなります。清浄を維持するための水流による結界があるとうれしくなります。田村神社もその一つ。伊勢神宮にご参拝経験のある方にとっては、その風景を思い出すことでしょう。川の水も山側の川なのでとてもきれいです。
しばらく、この場所で気持ちよさを味合わせていただきました。
写真も数枚撮影させていただいたのですが、ふと川下のヒカリが美しくて遠景の撮影をしたくなりました。
その写真がこちらです。
自宅に帰って確認していた時ですが、右下に何か映っているような。。。。
龍神様が夫婦で登場しているように見えます。
昨日の龍王と龍神の石碑が思い起こされます。夫婦の龍でご一緒してくださっていたように思えました。龍王と龍神について、?だったので少し調べてみましたが、納得感のある説明は見つかりませんでした。ここで言う、龍王と龍神は、この表現した人からすれば、夫婦龍のことを指しているのであろうということが、わたしにとっての一番納得できる説明となります。神々のことは、人の状態によってさまざまな表現のカタチを取るのが常です。人には、計り知れない存在ですから、人の表現に幅が出るのは当然のことです。
田村神社は、その昔、鈴鹿峠に出没する悪鬼を平定させた坂上田村麻呂公をお祀りし、その後の飢饉、疫病でも坂上田村麻呂公の霊験を以て厄除の大祈祷が行われ、そのご神徳は厄除けの祖神として崇敬されるようになったそうです。それが、今でも有名な厄除けの福豆、厄豆落としなどの神事が行われているそうです。
今回の経験は、昨年末の春日神社の参拝に続き、田村神社のご神徳を龍神護符にお繋ぎすることができたように感じています。龍神護符にも厄除けの護符を描かせていただいていますが、今回の参拝で厄除け、破邪の神徳がより一層、豊かになったように思えます。そして、神と人との美しい関係性も垣間見せていただけたことに龍神護符の行く先を見た思いがします。
わたしにとって、龍神様が目に見えることを期待したことはないのですが、今回龍神様が目に見えるように現れてくれたことには歓びを隠せません。
※滋賀県にお越しの際は、HIDEKI/清龍のアートを楽しめる
プライベートアート展をご利用ください。
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