魔除けの護符というと人によって、様々な効果を期待するところだと思います。
あなたにとっての魔除けとは、いかなるものを考えるでしょうか?
魔とは、どのようなことを連想しますか?
魔除けの魔
魔は、いたるところに存在します。それは、人が魔だと思えば、魔になるとも言えます。自分にとって不都合、不利益であったりする場合、災いという不幸な出来事、禍という思わぬ不幸として、起きたことを受け取ります。
ものは考えようという言葉がありますが、当事者からすれば、辛く、悲しいことかもしれないし、痛みを伴うことかもしれません。そんな時に何を言われたとしても、気休めにしかならないのが普通です。辛いものは辛いし、悲しいものは悲しい。気休めを言われても、どうしようもありません。そのことを事実として、しっかりと受け止めるには、ある程度の時間が必要です。辛く悲しい時期を抜けるには、それなりの人生経験が必要な時もあります。前向きに物事を考えられることや楽観的に受け止めるには、自信や経験、性格が大きく影響するでしょう。
できることなら、魔、災いは、避けて通りたいと思うのですが、人生、何が起きるかわかりません。そのような気持ちの現われが、魔除けとしてのカタチを生んだのかもしれません。平穏無事に暮らしたい、そう思うのは、当たり前のことですよね。
魔を引き寄せる
魔を避けたいと思うのが、普通だと思いますが、人生において、一定期間、不幸なことばかりが立て続けに起こることがある人もいます。
こういう方には、何が起きているのでしょうか?
龍神様曰く、「縁」と言われます。
わたしが理解しているのは、互いの何かが引き合うことで、幸も不幸も起こるということです。互いの何かが響き合わないことには、出会うこともないと理解しています。
最初の縁は、とても小さいものでも、時に、縁は縁を呼び、雪だるま式に大きくもなります。ちょっとしたきっかけで、魔は、大きくなり続けることもあります。きっかけは、その人の、縁、としての小さなつながりだそうです。
テレビやラジオのように、魔としての周波数に自分の波長が合うことで、魔を引き寄せてしまいます。魔が差すということも、これと同じで、通常は、魔としての周波数が合うことなく生活しているのですが、ちょっとしたきっかけ、例えば、活力が落ちている時や精神的に調子が良くないとき、何か悩み事を抱えているとき、調子が良くないときなどに周波数が魔に合わさってしまうことがあります。また、普段抑えていたストレス、感情などが大きく揺れ動いたとき、魔に合わさってしまうことがあります。
「魔が差した」ということは、行った本人からすれば、自分ではない悪魔の仕業と言いたいところでしょうが、火種は常に自分にあります。普段から様々な欲求を抑えながら生活をしていれば、強く自制心を利かせながら生活をしていれば、ちょっとしたことで魔は、入り込んできます。そして、時に大きな魔となって姿を現すことがあります。
魔を遠ざける
魔を遠ざけるには、聖人になればいい?
聖人は、魔とは無縁なのでしょうか?
宗教のことは詳しくないですけど、聖人が魔と戦うという話はよく聞きます。
先の文章から言えば、聖人も魔の波長に合わさってしまうのでしょうか???
龍神様曰く、魔を遠ざけるには、敵視しないこと。つまり、否定的な見方、捉え方をしないことが大切なのだそうです。事の本質を理解しようとすることが大切だそうです。
「曇りなき眼で見定め、決める」は、もののけ姫でのアシタカのセリフですが、物事を偏った視点・曇った眼で見れば、目に映る意味も偏ったものになります。
アシタカが「曇りなき眼で見定め、決める」と言った後、エボシは「曇りなき眼?アハハハハ」と笑います。
曇りなき眼を持つことは、人として社会を生き、様々な価値観や教育を受ける中では、とても難しいことかもしれません。
人は自分と違うもの、自分を否定されるものには敵意を持つことがよくあります。自分が嫌なことは、他人にはしない、というのは子供によく言うことですが、大人が平気で行う姿を当たり前に目にします。魔であっても同じで、魔を否定すれば、魔と敵対すれば、その争いがエスカレートしていくことがあります。
魔除けに必要なのは、自分の魔と引き合う波長をなくすこと、少なくしていくことが大切です。それには、事の本質を見極める目を持つことが大切なのだそうです。
でも、なかなか難しい事であるのは、事実です。
エネルギーの守護符である、魔除け龍神護符
龍神様は、全てのエネルギーに精通しています。事の本質は、正確に理解しています。魔としての存在を認めてもいます。魔は、人の言葉ではありますが、ある種のエネルギー体としての存在です。すべてがあっての宇宙ですから、魔であっても、龍神様にとって、否定は一切ありません。
魔除けの龍神護符は、魔を否定するものではなく、魔と波長が合わないようにするための、いわば、エネルギーの守護符のようなものです。持つ方のエネルギーを高め、曇りなき眼を育てる環境を整えてくれます。魔としての波長から遠ざける状態を提供してくれます。後は、本人次第。
龍神様のエネルギーには、自制する力というか、自制する必要もないほどにありのままでいいと言えるエネルギー状態を内包していますので、自制しながら日々を暮らすのではなく、ありのままの自分を楽しんでいくという流れを手助けしてくれます。
龍神様の護符は、持たれる方の意志がどこに向かおうとしているのかによって、護符としての効果が変わってきます。ただ、守護していただくのではなく、自分自身も魔と波長が合わない生き方、心の在り方を心がけ、波長があったとしても事の本質を理解していこうとする意志が大切です。
魔としての現われがあった時、そのことの本質を理解してこうとする方には、龍神様が最も穏やかで確実な方向にあなたを導いてくださいます。結果的に魔としての存在は、あなたの目の前に存在する必要がなくなっていきます。また、不必要に大きくなった魔としての存在は、最小限にまで小さくしてくださることでしょう。
魔除けの龍神護符は、単に魔を除けるのではなく、あなたの心の成長を助けてくれる護符です。龍神様のエネルギーに触れ、見守られることで、人としての生をタマシイとして充実したものへと変化させてくれるでしょう。
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