合格祈願。本人も、周りで見守る方も合格できることを祈り、できることを尽くしますよね。本人が望む合格祈願。必死に頑張っている姿を見たら、叶えてあげたいと思うのが親心ですよね。
人を神として、奉る
合格祈願で有名な、学業の神様と言われる菅原道真公の太宰府天満宮をはじめとして、日本各地に合格祈願をしに行く神社は、多数あります。学業や仕事で多大な功績を残した人、その方を祭り神としています。
人は、何か人並外れた才を発揮し世に貢献した人を称え、その人の恩恵にあずかりたいと思います。しかしその人は、この世には存在していません。ですから、その方に直接的に何かしていただこうということではなさそうです。でも、その人の素晴らしさを恩恵としてあやかりたいと思います。見習って、努力・精進する、ということでもなさそうです。もちろん、そのように行動する方もいらっしゃるとは思いますが、神様的な位置づけのとして奉るのは、自然の恩恵と同じような意味合いで、ある特定のエネルギー、ご威光を享受しようとすることの意味合いだと思います。
神聖な場所と言われるところには、感覚的に神聖な空気感・エネルギーを感じ取ることができます。その場にいることで、神聖なエネルギーに浸ることで、なにかとてもいい気分になれます。素晴らしい方は、素晴らしいエネルギーを発しています。学業に秀でた人であれば、そのようなエネルギーが発せられています。ある才能を世の中で生かした方のエネルギーを受けたい。このような、人の願望があると思います。ご本人がわかっていなくても、求めるエネルギーの質に同期した状態があれば、訪れたく思い、実際に訪れるでしょう。実際に訪れることで、求めるエネルギーに触れ、求めるところのエネルギーが補完された感覚になるのだと思います。ただ、このことを顕在意識で自覚している方は、かなり少ないのではと思います。「行きたい」と感じるから、行く。シンプルです。
合格祈願する、神頼みをする
祈願する。これは、祈り、お願いすることです。合格祈願など、祈り、願い、自分の願いをかなえてもらおうとすることは、人がはるか昔から行ってきた行為です。ただ、叶うか、叶わないか、叶ったと思えるか、思えないかは人それぞれです。
神頼みは、自分の力では、どうにもできないと感じたとき、神様の後押しをいただきたいと思い、祈願します。神様の存在は、人それぞれに心の位置づけがあると思いますが、神様の存在を信じている人にとっては、最後の頼みの綱となります。心の支えです。人で考えれば、頼まれて応じる人、応じない人、どちらもいますが、頼まれて、ハイ、とお答えする神様は、存在するのでしょうか?神のみぞ知ることですが、都合がいいと思いませんか?人は、神頼みをすることで、できることを精一杯行った自分が安心したいのかもしれません。
神様に祈願するということは、自分自身の意志の明確化ということができます。神様は人のことは、なんでも知っているのだから、あえて祈願することもなく、自分の願いは知っていると思いませんか。神前で襟元を正し、決められた所作に基づいて、真摯な姿勢で自分の意志を神様にお伝えすることこそが、とても大事に思います。
合格することがすべてでない。
合格することを一つの到達点として、歩みを進めている最中には、言えないことですが、合格できることがすべてではありません。
龍神様曰く、今をどう生きるかが、そして、未来をどう生きるかが、とても大切だと、わたしは、幾度となく教えられています。
合格することを目標に、でき得る最大限の努力をしても、報われないこともあります。どこで区切りをつけるかということはありますが、目標に向けての様々な経過は、何物にも代えがたく、本人にとって大きな収穫となっています。その経験を、活かせることができれば、合格するための努力は無駄にはならず、大きな力となります。
縁は不思議なもので、合格しなかったからこそ開ける未来こそが、その人にとっての最良の道であったと思えることだってあり得ます。今を納得しながら生きる、心がけはとても大切です。過去は過ぎ去った経験です。今をしっかり生きることで、過去は未来につながる素晴らしい礎になります。今をどう生きるかで、過去も未来も素晴らしいものとなります。
合格祈願龍神護符
龍神護符に共通するのは、人の表面上の、目先の願望をかなえる護符ではないということです。先に書いたように、龍神様のご威光をいただくのが、龍神様の特定のエネルギー域を繋ぐのが、龍神護符です。龍神護符もまたエネルギーの現われです。龍神様の多様なエネルギーの特定域を護符として顕現したもので、人の意志に応じて、その方のタマシイが望む方向へ生きることへの後押しをしてくれるエネルギーとなります。依頼する方の意志がはっきりとしているものであれば、そしてその意志がタマシイの望みと方向性が同一であれば、その効果は絶大なものとなるでしょう。
合格がその方の望みであっても、それは様々な都合によることも多いでしょう。合格祈願は、祈願される方のきっかけであり、その人のタマシイが望む方向となると、道は多様な広がりを見せます。合格するもしないも龍神様は、その方のタマシイの歓びを歓迎しますので、タマシイの意志への協力を惜しむことはありません。
合格するための努力は、その時にとても大切な経験であり、その経験の先にあるものは、わたしたちには明確には見ることはできないものです。今をしっかり生きることで開けていくのが未来であり、未来の種まきを今、行っているのです。過去は、より良い未来を経験するための収穫であり、礎ともなります。過去も未来も、今、どのように生きるかでその意味は変化します。
龍神護符のご利益として言葉にすると、それは、その人の人生をタマシイが満足する方向に後押ししてくれるということ。顕在意識で考える、様々な人の生活での利益とは限らないのです。龍神護符をいただくということは、依頼される方の意志を明確にするということでもあるのです。意志を明確にすることで、意志に基づく縁が未来につながっていきます。龍神様が縁を繋いでくださいます。
現世利益だけでなく、タマシイの縁を豊かに広げていってください。
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