龍神縁起

京都伏見稲荷大社へ

京都伏見稲荷大社の画像

この一年ぐらいとても気になっていた伏見稲荷大社に参拝してきました。

わたしとしては、幼少のころから「狐さんは、怖い」と感じるところがあり、稲荷神社とは縁遠く思うところがあったのですが、数年前にあることがきっかけで、人と共に在る狐さんの存在を感じることができてからは、親しみさえ感じるように大きな変化を遂げることができました。

狐憑き

「狐憑き」の言葉の通り、狐の霊が人に憑依して良からぬことをする印象があったのですが、現時点でわたしが理解するところでは、狐憑きの狐と表現される存在は、人としてのエネルギーと交流をし、互いにエネルギーの循環を起こしていると理解しています。それぞれが必要とする得意のエネルギーを交流、循環することで互いに存在としての歓びに貢献しているようなのです。

憑依する種類の狐霊としての存在のエネルギーの好みは、人としての妬みや嫉み、わたしたちが否定的なマイナスのエネルギーととらえてしまいがちなエネルギーを好みとするような存在であり、人側は、金銭的な豊かさや羨望、他人との優位性を好みとする存在、この二者が互いのエネルギーを循環させることでその関係性を維持していくように思います。ある意味では、人と狐の契約関係ということができます。

もともと稲荷神社さんのお稲荷さんは、稲、作物の豊穣祈願の神の使い的な存在であるようですので、先に挙げたような存在とは、その質を別にしています。実際、伺った伏見稲荷大社は、稲荷神を祭る、神的な場所であると思います。

 

観光名所 伏見稲荷大社

 

思い立って、急に伏見稲荷大社へ行くことができました。

何の前準備もなく、突然、車で行くことにしました。場所も定かではなかったので、カーナビの案内で、いざ!

近くまで車で行くと、なんと人の多い事、それも外国人観光客の多い事。車で通るにはあまりに人が多くて大変でした。

迷い込んでしまったかのように、身動きができなくなりかかったので、いったん脇に外れてコインパーキングに車を止めて、伏見稲荷大社に向かいます。

伏見稲荷大社に向かう、道中はテキヤさんがずらりと軒を並べ、行き交う人の食欲を誘います。テキヤさんの販売員の方も外国人観光客対応のためか、外国人の方が数件あり、感心しました。

商魂たくましい!

京都ということもあり、外国人観光客は、男性も女性も着物姿が多くみられました。着物を着てみるのは、日本での大きな楽しみの一つなのでしょう。日本人があまり着ることのない、派手目の色は、外国の方にとっては好みの色ですね。おかげで一緒に行ったパートナーのカラフルな服の色が全く目立たなくなり、探すことが多くなってしまいました。

 

伏見稲荷大社にお参り

 

お参りをしようと、鳥居をくぐり、いつものように水でお清めしようと、水場に眼を移すと、、、、そこも、写真を撮る人や作法関係なく手洗いやうがいをする観光客で埋め尽くされています。。。ですから、今回は、ご遠慮させていただきました。

さて、境内に入ったものの、どこに行くべきか見当もつきません。こんなことは、珍しいのですが、少し戸惑ってしまいました。案内地図を見て、千本鳥居をくぐる道で奥宮を目指すことにします。
すぐに息苦しさがやってきました。珍しく、歩くだけで息切れします。あまりに雑多な状態が原因しているような。。。。

普段、神社にお参りするときは、結果的にあえて人の少ないときにお参りすることになるのですが、こんなに人が多いときにお参りするのは、初詣の時ぐらいです。さらにビックリなのは、ここは日本ですよね?というぐらいの海外の人たち。耳に入る言葉も様々な国の言葉。

千本鳥居も通行渋滞ができるほどの人の多さです。あちらこちらで、記念撮影。鳥居の朱色は、海外の人には好印象のようです。
ゆっくりと進んでいく途中で気を魅かれ、人のほとんどいない脇道へそれることに。。

 

千本鳥居を通り抜ける途中、この狐さんが、行くべき場を案内してくれました。

後で写真で見てみると、なんと凛々しいお姿。

 

龍神様

脇に入った道は、伏見神宝神社への道で、少し傾斜のある山道になっていて、自然の気に少し落ち着きを取り戻すことができました。そして、そこに待っておられたのは、意外にも龍神様でした。

伏見神宝神社の社名の神宝は、十種神寶(とくさのかんだから)に由来するとのことで、鎮魂の神社との記がありました。

お出迎えいただいたのは、狛犬ではなく、狛龍です。はじめてお目にかかります。

地龍と天龍。

地龍と天龍は、天と地の間を回航し、存在のために神威を現し続けます。

 

伏見神宝神社の今の社殿の姿は、昭和32年に蘇ったそうですが、応仁の乱後、姿を消し、自然に溶け込んでしまったとのことでした。

この社殿が位置する笹山(丸山)は、稲荷さんを背に位置し、伏見稲荷大社とその存在の意味を異にしているように思えました。

この伏見神宝神社に導かれたのは、龍神護符にもある、鎮魂のご利益、神徳を結びつけることに間違いはないようです。

鎮魂龍神護符のご紹介にも書かせていただいているように、人の魂は彷徨いやすく、肉体に留まり、この世での生を存分に味わうことが、人としての主要な務めであるわたしたちには、鎮魂の神威を受け、魂を振り起すことがとても大切なことと、改めて感じさせていただける機会となりました。

伏見稲荷大社に行かれるなら、是非、伏見神宝神社にお参りしていただけると嬉しく思います。

伏見神宝神社で魂の働きを活性化させて、伏見稲荷大社で現生を楽しむ楽しみ方を学ぶ。

二つの神社の関係性の例えですが、みなさまはどのようにお考えなるでしょうか?

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