龍神護符を描くとき、わたしは「制作する」とは言いません。
「顕現する」という言葉を使います。
この違いを、ずっと説明する機会を探していました。
「制作」と「顕現」 何が違うのか
「制作」という言葉には、作り手が何かを意図し、技術を使い、形にするというニュアンスがあります。
絵師がテーマを決め、構図を考え、色を選び、完成させる – それが制作です。
わたしが龍神護符に向かうとき、そのプロセスは根本的に異なります。
わたし自身が「何かを作ろう」としている感覚は、そこにはありません。
龍神護符を描く前に、まずわたしは自分を消します。
正確に言えば、自分の意図・思い・感情を、できるかぎり透明にします。
何を描きたいか、どんな護符にしたいか – そういう「わたし」の声を、静かにさせます。
その状態で初めて、筆を持ちます。
龍神様からのエネルギーを繋ぎ、現す。
それだけです。
30年以上絵を描いてきて、辿り着いたこと
わたしが絵を描き始めてから30年以上が経ちます。
最初から今のような描き方をしていたわけではありません。
若い頃は、どう描くか・どう見せるかを頭で考えていました。
構図・色彩・バランス – 絵を描くための技術を積み重ねていた時期があります。
しかし、ある時期から気づき始めました。
頭で考えたものは、頭で考えた以上のものにならない。
直観が動いたとき – 自分でも説明できない感覚に従ったとき – 生まれた作品には、別の質のものが宿っている。
その違いを何度も経験するうちに、「自分」を使って絵を描くことへの興味が薄れていきました。
代わりに、自分という存在を透明にして、何かが通り抜ける通路になること – そちらの方向に、自然と向かっていきました。
龍神護符の制作が始まったのは2017年のことですが、その方向性は、30年の画業の積み重ねの先にありました。
護符を描く前に、わたしがしていること
護符のご依頼が届いたとき、わたしはまずご依頼者の方のことを思います。
名前・状況・願い。
それを静かに受け取ります。
「解決してあげよう」「この方のために何かしよう」という気持ちは、そこには乗せません。
ただ、その方の存在を感じます。
次に、心身を整えます。
外側を静かにし、内側を静かにします。
これはわたしにとって、特別な儀式というよりも、日常の延長線上にあるものです。
日々の暮らしの中で、エネルギーの質を整え続けることが、護符の質に直接つながると考えているからです。
そして筆を持ちます。
どんな龍神様が現れるかは、描き始めるまで分かりません。
白龍が来ることもあれば、黒龍が来ることもある。
昇り龍のこともあれば、円を描く龍のこともある。
それは、わたしが決めることではありません。
ご依頼者の方にとって今最もふさわしい龍神様が、自然に現れてくるのです。
思いを込めないということ
「心を込めて描くのではないのですか」
と聞かれることがあります。
わたしの答えは、「込めません」です。
これは冷たいことではありません。
むしろその逆です。
わたしの思いを込めるということは、わたしというフィルターを通すということです。
わたしの感情・願い・価値観 – それらが護符に乗るということです。
しかしその方に必要なのは、わたしの思いではありません。
龍神様のエネルギーです。
わたしが思いを込めるほどに、龍神様のエネルギーは薄まります。
わたしという存在が透明であるほどに、龍神様のエネルギーはそのまま護符に宿ります。
だからわたしは、淡々と描きます。
感情の揺れはなく、期待もなく、直観に従い筆を動かします。
「淡々と」という言葉は、無関心に聞こえるかもしれません。
しかしわたしにとってそれは、最も深い誠実さです。
龍神様を信頼し、ご依頼者の方を信頼し、その場のエネルギーの流れに委ねること – それが淡々と、ということです。
龍神護符は「道具」ではない
護符は、願いを叶えてくれる道具ではないと、わたしは考えています。
「この護符を持てば〇〇になる」とは、言えません。言いません。
護符が届いたあと、多くの方から「変わったのは外側の出来事よりも、まず自分の内側だった」というお声をいただきます。
心が落ち着いた。
迷いが減った。
自分の判断に軸が生まれた。自然体で人と接せられるようになった。
それがまず起きます。
そして、その内側の変化が、外側の現実を少しずつ動かしていく – 多くの体験談が、そのような流れを語っています。
龍神護符は、本来の自分へ還るための道しるべです。
龍神様のエネルギーが、その方の本質に静かに働きかけ、自分らしい流れを思い出させてくれる – わたしはそのように理解しています。
人生を変えるのは、その方自身の選択と行動です。
龍神護符は、その歩みを支え、道しるべになり得ます。
三井寺国宝金堂に作品が迎えられたこと
2021年の秋、天台寺門宗の総本山・三井寺の国宝金堂において、わたしの作品が展示される機会をいただきました。
秋の特別拝観「希望と追善の祈り」 – コロナという時代の祈りに合わせた、特別な場での展示でした。
そのとき、一つのことを確信しました。
わたしが30年かけて向かってきた方向 – 自分を透明にして、龍神様のエネルギーを繋ぎ、現す – その姿勢で生まれた作品が、1,200年以上の歴史をもつ聖地の、最も格の高い空間に迎えられた。
それは技術の評価ではなく、作品に宿っているものの評価だったと思っています。
聖地のエネルギーは正直です。
「繋がっているもの」は、場に溶け込みます。
「繋がっていないもの」は、浮きます。
わたしの作品が国宝金堂に溶け込んでいたとすれば、それは30年の積み重ねが、確かな方向に向かっていたということの証明だと、静かに受け取っています。
最後に – 「繋がっている方」へ
このような制作の話は、ある方にとってはまったく腑に落ちないかもしれません。
しかし「繋がっている方」 – 龍神様のエネルギーを日常の中で感じていた方、護符や龍神画に惹かれる何かを感じていた方 – には、言葉を超えて届くものがあると思っています。
護符は、「繋がっている方」のもとへ行きます。
縁のある方に、必要なときに届く。
わたしはただ、その媒介として筆を動かし続けます。
龍神様のエネルギーを繋ぎ、現すのみです。
龍神画家 清龍/HIDEKI



